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これをどう分析する?

 2011-11-21


さて皆さん・・・
「この動画をどのように分析しますか?」

この映像は、アメリカワールドカップチーム、Ted Ligety が背中に
装着したカメラからの映像ですが、普通に見ていると、ただ酔いそうなだけ。

しかし、僕自身の経験の中から、細かい分析をするためには、凄く大事な
要素が含まれている映像だと感じます。

さて、皆さんは、どのように分析しますか?

(僕の分析のポイントは・・・続くへ)

これをどう分析する? の続きを読む

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モチベーション

 2011-11-14
20111113ZAO S4ミーティング

現在、僕と秀朗(弟)で活動している、ZAO S4というスキークラブトレーニング
本日は、かの有名な日本人大リーグ選手の小学生の時の作文から、頭と心の
トレーニングをおこないました。

小学生や中学生、勿論大人までにも大事ですよね。

是非ご覧ください(クリック)


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自然の恩恵

 2011-08-13
皆さん、お元気ですか?
熱中症になんてなっていませんか!?

最近のニュース、やはり日本列島の暑さ関連のものが多いですが、僕がいる蔵王温泉は、日中で28℃、夜は16℃、ということで自然の恩恵を受けています。
本当に有難いものです。

蔵王温泉も、8月の15日を過ぎると、冬に向かって気温もどんどん下がっていきます。

暑いと嘆いている方々!!
是非お越し下さいね!!
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追悼4 渡辺正和カメラマン

 2011-06-17
今回は、渡辺正和カメラマンのプロとしての志や、この写真集への想い
がわかるSPURの中に記載されている「序文」 と 「後記」 を載せてみ
たいと思います。


SPUR 前書き

この「序文」。短いですが、ナベさんの笑顔の奥の、雪山や撮影に対す
る強い志や、夢が書かれています。やはりプロフェッショナルカメラマン
であるナベさんの魂が感じられますね。

こんなナベさんだからこそ、良い作品ができあがったのでしょうね。


-------<序文>-------
地球上に白い雪が降り続き限り、
悦楽のシュプールは限りなく描かれ、
ピステのドラマも生まれ続けるだろう。
私は、大好きな白い世界の中で、
いつまでも、シャッターをきっていたい。

---------------------





SPUR 前書き

-------<後記>-------
何も描かれていない真っ白な画用紙のように、私には写真の技術もスキーの技術も何もありませんでした。
あったのはスキーカメラマンになりたいという、ひとつの強い夢だけでした。
その夢だけをたよりに志賀高原というスキー場にスキー写真の修行にでかけました。
二十数年前、不安でいっぱいの私の人生の挑戦でした。
スキー写真を勉強できること、大好きな雪山のなかに身を置ける喜びが
苦労を上回り、それだけで幸福でした。
そして、初めて現像液のなかに自分のモノクロ作品の陽画が
浮かび上がってきたときの感動は今でも忘れられません。
夢の端っこをつかんだ、確かにそんな気がしました。
それからは本当に夢中でがんばりました。
月明かりを頼りに立山の稜線を一歩ずつ、一歩ずつ登ったこと、
W-CUPレーサーたちと400ミリレンズで対峙し、心を熱くしたこと、
ニュージーランドの縁スキーで雪崩に埋もれたこと、
あらゆる雪のなかに夢中の私がいました。
そして、写真集というかたちで私の生きてきた夢の世界を
永遠に残せることになったことにかぎりない喜びを感じています。
ここまで夢を追いかけてこられたのも、私のまわりにいる多くの方々のお陰だと感謝しています。
私の絵作りのために汗を流してくださった多くのスキーヤーの方々、
撮影のチャンスを与えてくださった出版社、スポンサーの皆さん。
気がつくと、大勢の方々に支えられて今の自分があることがわかります。
この場を借りて感謝の気持ちを伝えたいと思います。ありがとうございました。
特にスキー業界が大不振の折り、
先輩のカメラマンであり、アフロ・フォトの社長でもある青木紘二氏の暖かいご理解と、
山と渓谷社skier誌編集長中尾武治氏の強いご協力のお陰で
この写真集が刊行される運びになりましたことを心からお礼申し上げます。
また、快くデザインを引き受けてくださったデザイナーの宮内裕之氏にも感謝しています。
最初に真っ白だった画用紙も、年を重ねるごとにたくさんの夢を描くことができました。
この写真集は私の結晶でもあり、私の夢の軌跡でもあります。
私の3人の子供たち、そして
スキーを愛するすべての人々の心に永遠のシュプールとして残ることを願います。

PS. F・ジューンという女性がいます。
   彼女とめぐり会わなければ今の私は存在していません。
   夢をつかめたのも彼女のおかげです。
   ありがとうジューン。

---------------

この「後記」は、ナベさんのカメラマンになっていく人生の各ページが
読み取れますよね。ナベさんがカメラマンとして志した、志賀高原から
の下積みは、辛く厳しいものではなく、本当に楽しかったことでしょう。

そして、周りの方々に気を遣うナベさんの人柄は、この文章からも凄く
読み取れますね。そんな気さくなそして暖かいナベさんが、いなくなり
本当に寂しいです。




以上、数回にわたって「渡辺正和カメラマン」の追悼ページを作ってみ
ました。

ここに載せて頂いたのは、僕とナベさんとのほんの数枚ですが、ナベ
さんとの撮影を思い出していくと、また尚更辛い気持ちになってしまい
ます。涙があふれてきます。

今回のナベさんの他界に際し、僕たちスキーヤーや、スキー業界やカ
メラ業界のみならず、是非皆さんにもこの場をお借りして、知って頂き
たく、そして今後も渡辺正和カメラマンの存在を心に残して頂ければ
幸いです。


ナベさん・・・
ちょっと早すぎるけど、お疲れ様でした。
そして、本当にありがとうございました。
安らかにお眠りください。






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追悼3 渡辺正和カメラマン

 2011-06-16
今回も、渡辺正和カメラマンを追悼する意味で、ナベさんとの撮影の
思い出を書き残したいと思います。


SPUR ウインド

1996年。ニュージーランド・マウントハットでの撮影。この時は、非常に
風が強い日でした。リフトが動くかどうかのギリギリの状況だったことを
思い出します。

午後から、逆光になるシチュエーションでの撮影でしたが、ナベさんの
「スタート」の声がやっと聞こえたと同時に僕がスタート。スタートしても
風のせいで全然前に進まず、スピードがないまま滑った僕は、自分の
滑りにちょっと不満でした。

でも、こんな神秘的な写真になっているとは・・・。

この当時は、フィルムでの撮影でしたので、今のようにすぐに写真が見
れなかったことが、写真の楽しみでもありました。できあがりの写真から、
こんな神秘的な写真を撮っていた、ナベさんの凄さを感じた思い出もあ
ります。





SPUR 空撮2

1994年。サロモン「SKI NOW」の番組撮影の時に、ナベさんがヘリから
空撮をした写真です。スキーヤーは、僕と、我満嘉治さん、小林和仁さん
伊藤真紀子さん、淵上純子さんの5名。

このときは、ヘリをリフト代わりに、数十本滑ったことを思い出します。こん
な贅沢な時代も、今では本当に良い思い出であり、僕の財産のひとつです。





SPUR 空撮

この写真も、1995年の「SKI NOW」の撮影の時の空撮。ナベさんも、ドアを
開けたヘリから、上空の風の抵抗を受けながら必死に撮影されていました。
写真(スチール)と、動画(カメラ)の同時の撮影でしたので、2人のカメラマン
の息が合わないと、難しい撮影でした。

僕たちもこのときは、集団で126ターンした(させられた?)ことを思い出しま
す。このスキーヤーは、僕と我満嘉治さん、小林和仁さん、伊東真紀子さん、
淵上純子さんの5名でしたが、先頭に滑っていた僕は何の被害もなく、気持ち
良く滑ったのですが、僕から後ろのスキーヤーのみんなは、前の人の雪煙で、
髪の毛や顔が凍り付いて、樹氷になっていたことを思い出します。

ナベさんの撮影同様、このような「SKI NOW」時代の撮影は、世界各地を贅沢
に滑ることが出来ましたね。今の若い世代のスキーヤーたちには、いつか味
わせてあげたいものです。








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追悼2 渡辺正和カメラマン

 2011-06-15
さて、ナベさんに撮って頂いた写真のほんの少しですが、僕の思い出と
共にお届けしたいと思います。ナベさんへの感謝の気持ちを込めて・・・。


SPUR パウダー

この写真は、1995年。ナベさんと海和さんと3人で、立山に登った時の
写真です。この年は、11月の立山にもたくさんの雪が積もり、凄く良い
新雪を滑ることが出来ました。

僕は、まだまだ撮影慣れしていない時代でしたので、何度も転んだ事
を思い出します。でもそんな僕にもナベさんは怒りもせず、笑ってくれ
たことで、僕も癒されながら撮影をさせてもらった記憶があります。

立山の撮影は、足で登って滑らなくてはいけないのですが、この年は、
登るのも腰まで埋まるほど。でも、こんなに深く良い新雪は、前にも後
にもこのときだけでした。





SPUR 朝日 我満&秀人

1994年。我満嘉治さんと一緒にナベさんと3人で立山に登り、撮影を
しました。色々なシーンを撮影しましたが、撮影が終わり、一度ホテル
に退去してから、外の夕日があまりにもきれいなので、慌ててウエアー
に着替え直し、このサンセットの撮影をしました。

僕も色々と撮影の経験がありますが、7色の色がはっきりと見えるこの
ような夕焼けをみれたのは、この撮影のときしかありません。





SPUR 夕焼け

1992年。ナショナルチームでレーサーとして活躍していた僕が、基礎
スキー界に転向した初年度、技術選もまだ出場するまえの11月に立
山にナベさんと2人で登り、撮影をした時の写真です。

夕焼けの空に向かって滑り込むというコンセプトで、何度も何度も登っ
た記憶があります。この時は僕も本当に辛かったですが、でも、何度も
何度も挑戦を、ナベさんにお願いされると断り切れなかったですね。(苦笑)

どうしてもナベさんは、夕焼けとスキーヤーを同時に撮りたかったのでし
ょう。夕焼け空と被写体を同時に撮影するというカメラワークもも難しか
ったようですが、ナベさんの熱い気持ちに僕も心を動かされたこの時の
撮影、この年のこの撮影から、渡辺カメラマンの撮影に対する気持ちを
知ったものでした。





SPUR 朝焼け 秀人

1992年。この年も凄く雪が良くて、遅くまでパウダースノーでの撮影を
夕方まで行いました。もうそろそろ終わってくれないかな?・・なんて思っ
てスキーを担ごうとした瞬間。「ヒデチンそこで立っていて!」とナベさん
が叫んだことを思い出します。

きれいな夕焼けと、三日月と、そして金星。写真ができあがったときに、
僕がこんなに小さく写っていたとは、その時わかりませんでしたが、こ
のような、自然現象とスキーヤーとの融合を作品にしてくれたのは、
ナベさんならではの写真だったと思います。


(つづく)

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追悼 渡辺正和カメラマン

 2011-06-14
SPUR 表紙

丸いめがねにキャップ。真っ黒な顔にいつもたえない笑顔。そして、
僕のことを「ヒデチン!」と呼んで、いつも気さくに声をかけてくれた
渡辺正和カメラマン。

そんな渡辺カメラマンが、岐阜県・長良川で取材中の事故により
2011年6月9日逝去しました。

僕たちスキーヤーは、渡辺正和カメラマンのことを「ナベさん」と呼
んでいましたが、そのナベさんが撮ってくれた数々の写真。その1点
1点にたくさんの思い出があります。

そして、ナベさんが撮ってくれた写真が、僕をこのスキー界に送り
出してくれ、そして僕もこのスキー界で育てられました。だから、
ナベさんがいなければ、僕が現在もスキーをできていたかどうか・・・。


ナベさんの写真は、その撮影や技術だけでなく、自然の素晴らしさと
そして自然だけでなく、被写体である僕たちへの暖かい愛情を感じま
した。

僕たちが、どれだけ失敗をしても、笑ってその雰囲気を変化させ、僕
たちが、どれだけやんちゃでも、一緒にやんちゃもしてくれました。


ナベさんとの撮影は、厳しい自然状況の時もありましたが、決して諦
めず、まして僕たちを励ましてくれて、そして色々なことを教えても
くれました。

カメラマンが持ったレンズの大きさで、どんなシーンを、どんな写真を、
狙っていて、どこでターンをするのかを教えてくれたのも、ナベさんでした。

今思い出しても、本当に本当に感謝することばかりです。


そして、そのナベさんが、他界されたことを思うと、本当に本当に悲しいです。
寂しいです。悔しいです。切ないです。

色々な方との別れがありますが、ナベさんとこんなに早く別れなければ
いけないとは・・・。現実とは、なんと惨いことか・・・。


今週は、そんなナベさんを追悼する意味も含めて、渡辺正和カメラマンの
写真集「SPUR」をご紹介いたします。
色々なスキーヤーの皆さんが載っている写真集ですが、僕もたくさん載
せて頂きました。そんな写真と共に、僕も思い出に浸りたいと思います。


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